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もちろん、私が猪口孝先生のようなハンサムでないことは、致し方がないけれど。たとえば昔も、与謝野鉄幹・晶子夫妻のような、夫婦して有名な文化人というのはいた。けれど晶子は、ちょっと美人とは言いがたい。そして八〇年代ころから、私の周囲に限らず、才色兼備の女性があちこちに叢出するようになったのである。これが致命的だった。私の理想は、高いところで固定したまま、動かなくなってしまったのである。その人でなければならない理由。
ところで、社会学者の大澤真幸は、クリプキの固有名に関する議論を援用しながら、ある人(異性)を愛するとき、その人の属性、たとえば綺麗だとか、頭がいいとか、そういうものを並べても最終的にその人でなければならない理由にはならない、と述べている(『恋愛の不可能性について』春秋社)。大澤は、「もしさまざまな条件だけで一人の異性を選べるとしたら、その人は本当にその相手を愛しているとは言えない」と言う(「自由の牢獄」『アステイオン』49号)。
じつは私は、この文章を最初に読んだとき、ひっかかった。論理的に言うと、大澤は、「本当に愛している」という判断基準を外部から持ち込んでいるように思われたからだ。たとえば与謝野鉄幹は「妻を嬰らば才長けて、見目麗しく情けあり」と詠んだ。これは「条件」を並べているわけだが、仮に私が鉄幹のように「私好みの美人で、才能があって、それでいて常識もあって、私の仕事に理解があって、話も合って…」みたいな条件を挙げて、それまで会ったことのない、そしてこの条件にかなう女性を連れてこられたら、私はその人を愛するだろうか。
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吉本隆明は、「マチウ書試論」で、やはりキリスト教の根底には強老に対する憎悪と復讐の念が渦巻いている、と否定的に論じた。「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というのは、相手に対する最大の復讐だというのだ。だが、プロテスタント系の思想家である瀧沢克己は、吉本の解釈を認めた上で、キリスト教を、弱者の強者への抵抗の思想として評価しなおしている。
最近では人権思想というものがこのキリスト教と似た位置にあって社会的弱者の権利擁護に熱心であるが、当然それにはニーチェ的な批判もあり、評論家の呉智英は、人権思想の矛盾を指摘し、呉の影響下にあるマンガ家の小林よしのりも、「弱者権力」を糾弾している。思想史的に言えば、なんのことはない、ニーチェ問題が片づいていないのである。